うまい やすい はやい
この3つの単語を聞いて一番に思いだすもの。
牛丼。
私は牛丼をこよなく愛するものの一人である。
これはそんな私が以前最大手牛丼チェーン店の一号店に行ったときのお話し。
その一号店は1899年に産声をあげて以来、着実に店舗数を増やしていったチェーン店の、いわば総本山であり、イスラム教徒ならばメッカ、四国八十八ヶ所巡りのお遍路さんなら 高野山といった具合に、私にとっては聖地なのである。
しかも普通の牛丼店ならば売り上げに対する家賃比を少しでも減らすために、24時間営業がならわしであるがそこはさすがの総本山、営業時間は5時~13時と品質を落とさぬよう 時間外は品質向上のたゆまぬ努力をしているようにさえ思えてくる。
さらには一号店だけ牛肉も玉ねぎも国産を使用しているという噂さえある。
午前4:40。
やや興奮気味に開店20分前に到着してしまう。
しかし、今までも、そしてこれからもずっとここにあり続けるだろうその佇まいに永遠を感じているとすぐに開店時間をむかえる。
うれしいことに、私はその日一番目の客として店に迎え入れられた。
私は深呼吸をひとつして、いつも通り 「並、玉子お願いします」 と注文する。
奥で店員さんが手際よく私の並盛り牛丼を盛り付けている。
こころなしか普段行く店よりも動きが洗練されている。
牛丼作りの職人だ。
厨房の冷蔵庫には 【 水出し3年 オーダー5年 レジ打ち7年 盛り付け10年 】 と貼り紙があるのかもしれない。
その間続々とお客さんが入店してくる。
私のような観光客テイストな人は見当たらない。
地元の常連客だろう。
「大盛りみそ汁」「並玉子みそ汁」「並つゆだくお新香」「大盛り玉子」
四方からお客さんの注文の声が飛び交う。
店員はすべてをさばいては厨房に伝える。
当然お冷やを出すことも怠ってはいない。
「並」「特盛り玉子」続々と来店する客。
さすが一号店。
この時間からものすごい集客だ。
私はすでに目の前にだされた並盛りに玉子を割って和牛であろう牛肉を感慨深くかみ締めている。
「大盛りお新香」「並みそ汁」「特盛りつゆだく」「並ねぎぬきお新香」
ほう。
さすが一号店。
ねぎぬきの注文にも迅速に対応するのだろう。
私はこの牛丼店の牛肉と玉ねぎのバランスが最高だと思っているからねぎぬきを注文する人を少々馬鹿にしているのかもしれない。
まだまだ若いな・・・と。
しかし味覚は十人十色。
しかもここは総本山だ。
そこにおいて、否、どこのお店だろうが私が他人の味覚にどうこう言う権利などありはしない。と自分を戒めながら国産であろう玉ねぎをかみ締めていた。
その間客は次々に来店する。
「大盛り玉子」「並みそ汁」「並玉子みそ汁」「特盛りねぎだけ」
!
ねぎだけ!? そんなことがあるのか!
私の牛丼ヒストリーを根幹から覆すオーダーだ。
そしてそれはもやは牛丼ではない。
すごいぞ一号店。
お客さんのレベルまで確実に違う。
そう感じながら私の並盛りも後半戦。
紅生姜に手を伸ばした瞬間にまた別のお客さんのオーダーが入る。
「大盛りつゆだけ」
声の主を二度見した。
つゆだけ・・・? 本気か・・・?
レベルが違いすぎる。
ここは私みたいなものが来るには早すぎたのだ・・・
私は牛丼というひとつのコンテンツを多角的に捉えていなかった。
作品ともいえる牛丼ができるまでのプロセスに、そしてニーズに応えるユーザビリティとしての経営サイドからのアプローチに、私はなにひとつ気がついてはいなかったのだ。
牛肉と玉ねぎのバランスなどとえらそうなことをいいながら所詮井の中の蛙で満足していた。
木を見て森を見ていなかった。
自分の未熟さにうちひしがれながら最後の一口を食べ終えてお勘定を済ませ、うつむき加減で店を後にしようとしていると
「特盛りどんぶりだけ」
というオーダーが聞こえたような気さえした。
東の空が少し白けていた。
まだ頬をさす夜風は冷たく、星が綺麗に瞬いていた。
某年 吉日